発達障がい児の子育て

発達障がい児の育児がつらい。ダメなママだと責めた私が変われた理由

「…もう無理」

「あっち行って!」

気づけば怒りの矛先を長男に向けていた。

長男は「…あっち?」と小さな声でつぶやき、寂しそうに寝室の隅へと逃げていく。

遠くで小さな背中が震えていた。

なんでこんなに上手くいかないの?

なんで私だけこんな思いをしないといけないの?

息が詰まるような毎日。

誰にも助けを求められず、どうしたらいいのか分かりませんでした。

こんにちは!さとちえです。

この記事に辿り着いた方の中にはきっと、お子さんのことで悩んだり、「自分のせいで子どもが障がいを抱えてしまった」とご自身を責めている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私も、何度も何度も、何度も自分を責めました。

自分だけでなく、長男や夫、そして周りの人も…。

そして大事なはずの長男を、たくさん傷つけてきました。

思い出すだけで泣きたくなるほど、今でも後悔しています。

でも今振り返って思うのは、子どものことを思って試行錯誤し、時には失敗したその時間こそが大事だったのではないか、ということ。

「幸せだな」と感じる今を作ってくれたのは、間違いなく試行錯誤や失敗した経験だと思うのです。

今回の記事では、私が長男の特性に気づいてから診断を受けるまでの過程でどんな失敗をしてきたのか、

そして、自分や周りを責めるばかりで立ち止まっていた私が、

「気づいたら、前向きに行動し始めている!」

と感じられるようになった、その変化の過程をお伝えします。

今、「私はダメなママ?」と悩んでいる方がいらっしゃるなら、私は伝えたい。

子どもを想い、苦しみながらも向き合おうとしている時点で、すでに強くて素敵なママです🫶

みなさまがほんの少しでも前を向けるきっかけになること、

そして「状況を変えたい!」と思われる方の背中を押すことができますと幸いです。

「あれ?周りの子と違う?」発達の違和感に気づく

最初の違和感

長男は1歳過ぎまで特に問題なく成長していました。

むしろ運動発達面は早い方で、3ヶ月で寝返りができ、9ヶ月で歩くことができるようになりました。

最初に違和感を感じたのは、1歳半を過ぎた頃。

絵本を読みながら「これはりんご、これはワンワンだよ」と指を差しながら話をしていたのですが、ほとんど興味を示しません。

「そういえば指差ししないな…」

「言葉もあんまり理解していない…?」

そう思い試しに聞いてみました。

「ワンワン、どれ?」

案の定、指を刺さない。

じっと本を見ているだけ。

「じゃあママは?ママはどれ?」

焦る気持ちを抑え聞くと、読んでいた絵本から目を離し、私の方をじっと見つめる。

よかった。ママは分かるのか。

と安心したと同時に「やっぱり指を差さないな…」という不安は残りました。

1歳半健診での衝撃

その頃タイミング良く、市の1歳半健診があり参加。

そこで私は驚くと同時に、ショックでその場に立ち尽くしてしまいました。

同じ月齢の子たちが、ママと会話をしているのです。

ここは1歳半健診の会場なのか…?
間違えて2歳以上の健診に来てしまったのか…?

私と長男だけがその世界から切り取られ、異空間に放り出されたようでした。

帰りたい、逃げ出したい気持ちを必死に抑え、受付を済ませる。

身長・体重など身体面の健診が順調に進み、保健師さんとの面談でさらにショックを受けます。

「単語は5個以上出ていますか?」

5個…?同じ月齢の子は5個出ていることが普通なの…?

泣きたい気持ちを抑えながら、「…1個も出ていません」と答えるのが精一杯でした。

保健師さんからその場で発達心理の先生との面談を勧められ、話を聞くことに。

心理の先生が長男に、果物や動物の絵が書いてあるボードを示しながら「りんごはどれ?」と聞きます。

長男はちょっと迷いながらもりんごを指差していました。

すごい!指差した!

と少し安心したものの、先生が長男に言った「りんご、って言ってごらん」の言葉には反応せず。

じっとボードを見つめていました。

やっぱり言えないんだ。

そうショックを受けていると先生から「言葉の発達は本当に十人十色だから、2歳過ぎてから急に爆発する子も多いの。特に男の子は遅いから、もう少し様子を見ましょう」とのお言葉。

安心したような、でもモヤモヤするような、複雑な感情のまま帰路につきました。

思えば1歳すぎに保育園に預けて以降、同じ月齢の子たちを見る機会が減っていました。

よって、一般的な発達レベルが分からない状況。

今回久々に長男と同じ月齢の子を見て「もうみんな単語が出て、ママと会話できる子までいる」という現実を見せられ、ここで初めて「自分の子は発達が遅れているんだ」と気づかされたのです。

ショックと同時に、

「私は今まで長男の何を見ていたんだろう…」
「ずっとそばにいたのに」
「毎日見てきたはずなのに」

と、負のループから抜け出せなくなっていました。

始まった癇癪。3歳すぎて違和感が確信に

その後保育園の先生にも相談し、様子を見守ってもらうことに。

先生からも「2歳までは様子見でOKだし、園でも言葉が出やすいように対応していきます」と言ってもらえ、その言葉に甘えつつある自分がいました。

安心できる言葉に縋り、不安は見て見ぬふりをしていました。

また、段々と長男も言葉を理解している様子を見せ、

「ご飯だよー!」と言うと、自分の椅子を持ってきて座る
「おうちに帰ってきたら何するの?」と聞くと、洗面台に向かって手を洗う

このようなことができるようになっていたので、不安は奥の方に押し込め「大丈夫だ」と思うようになっていました。

しかし段々と、今でも私を悩ます「癇癪」の片鱗が見え始めるのです。

2歳すぎ:言葉が爆発!先生の話は本当だった

2歳3ヶ月頃、ついに言葉が出ます。

「ママ、アキハラバ(秋葉原)、いく」

なんといきなり三語!

そして念願の「ママ」も聞け、大興奮な私。

長男に「喋れたじゃん!すごい!やったー!」とハイテンションで抱きつきながら喜びました。

次の日、「アキハラバ」に家族3人で出かけ、「アキハラバ、アキハラバ」を連呼する長男を見て「もう大丈夫だ。この子は”普通の子”だ」と安心したことを覚えています。

その後、徐々に単語数も増え、大人との会話もできるように。

保育園の先生からも「毎日たくさんお話ししてくれます」と言ってもらえていたので、この頃から増えていた「癇癪」は「成長の一種だろう」とどこか安心しきっていました。

しかし、やはりこの「癇癪」はただのイヤイヤ期ではありませんでした。

3歳になる頃にはむしろどんどん悪化していたのです。

3歳すぎ:癇癪が酷くなる

長男が3歳の頃、よく喋るようになってはいたものの、酷い癇癪が続いていました。

しかも一度起こった癇癪は何時間も続きます。

それは外出先でも同じ。

公園に行っても、お友だちとのちょっとしたいざこざから癇癪になる日々。

ママたちからの視線が痛い。恥ずかしくて、悲しくて、目の前にいる自分の子に憎しみを感じてしまうことも。

泣きながら暴れまくる長男を抱えながら、そそくさと帰宅することが多くなりました。

恥ずかしい。こんな大きな子が泣き喚いているなんて。

同じ年齢の子はみんな大人しくしている。

周りの視線が痛い。もうどこにも出かけたくない。

そしてこの頃から、

「やっぱりこの子は何かあるのかもしれない」

再びそのような思いが湧き始めていました。

保育園転園。「やっぱり他の子と違う」

長男が年少に上がる年、これまで通っていた園を卒園し、新しい保育園に転園しました。
(※以前の園は小規模園のため、2歳児までしか通えないシステム)

新たな保育園に他の園から転園してきたのは、長男を含め4人。

他の子が順調に慣らし保育を終える中、長男は午前中の3時間もいることができませんでした。

「どうしてできないの?」子どもにストレスをぶつけた日

「癇癪がおさまらないのでお迎えに来てください」
「給食を食べないのでお迎えに来てください」

4月が終わる頃でも、保育園からはこのような電話が毎日来ていました。

こんなの、育休中じゃなかったら対応できないよ。

というか、育休復帰してもこんな状態だったらどうするの?

私は働き続けられるの?

育休復帰できるのか。働き続けられるのか。

そればかり考える毎日でした。

そして次男の夜間授乳による寝不足も相まって、私は徐々にストレスを溜めていきます。

そのストレスの当たり先はいつも長男。

「なんで他の子ができているのに、あなたは最後まで保育園にいられないの?」

「なんでママをこんなに困らせるの?」

「ママがお仕事に行くようになったらどうするの?!」

毎日、毎日、長男にぶつけていました。

そしてある日、ストレスが限界に達した私は、ついに長男に言ってはいけない一言を言ってしまいます。

「…もう無理」

「あっち行って!」

きっかけは、ようやく寝た次男に長男が抱きつき、起こしてしまったこと。

今思えば本当に些細なことだし、長男としては弟と遊びたかったのだと思います。

が、寝不足、長男の発達の不安、そしてワンオペという状態でストレスが限界だった私は冷静になれませんでした。

あまりにも大声で長男に言ったからか、長男も驚き「あっち?」と寝室を指差して逃げていきました。

あの時の長男の寂しそうな顔は今も忘れられません。

少しして落ち着きを取り戻した私は、「なんてことを言ってしまったんだ」と激しく後悔します。

長男の様子を見に行くと、本を読みながら泣いていました。

そしてお漏らしも…。

私の一言で長男の心を傷つけてしまった。

もう私のせいで子どもを傷つけたくない。

でもどうしたらいいの?何から解決をしたらいいの?

出口の見えない暗闇に迷いながら、それでも目の前の子どもを大切にしなければならない、

いや大切にしたい。

泣く長男を抱きしめながら、そうはっきりと自覚した出来事でした。

積み重なる保育園への不信感。溝が出来はじめる

一度保育園に相談しよう、そう思い担任の先生に現状を伝えました。

何かしら対策を一緒に考えてくれるかもしれない。

そんな期待は裏切られ、返ってきた答えは「わかりました」のみ。

え…?

「ママ今育休中ですよね?そしたら、来年までに来れるようになれば良くないですか?」

あ…え…そういうものなのか…?

腑には落ちなかったけれど、揉めたくなかった私は「そういうものなのかも」と自分を納得させることにしました。

でも、来年になっても慣れていなかったら…?
1日通して保育園に居られなかったら、私は仕事に行けないよ…?

考え始めたらまたしても負のループに。

「この園にいて大丈夫なの?」

モヤモヤが日に日に募り、気づけば私は保育園への不信感を募らせていました。

「このままじゃダメだ」診断を受けた日

夏を迎えても、相変わらず長男は午前中すらまともに保育園に行けない日々。
癇癪もヒートアップ。

何も解決策を見出せない日々が続く中、市の3歳半健診がありました。

「診断さえつけば、何かが変わるはず」

そうどこかで期待していた私。

しかし実際は、そう単純にはいかなかったのです。

ついに診断。なぜかホッとする

これまでの現状を保健師さんに相談。
1歳半健診と同じく、臨床心理士さんの面談につながりました。

そこで初めて診断を受けます。

「息子さんはアスペルガー症候群の疑いがあります」

・・・

「なるほど。やっぱりそうなんですね」
「診断をつけてもらえてホッとしました」

不思議ですね。

あれだけ悩んで落ち込んでいたのに、診断が降りてホッとしたなんて。

でもその時は本当にホッとしたのです。

当時は言葉にできませんでしたが、今思えば、

「私の育児が間違っていたわけではない」

「私のせいではなかったんだ」

そう思えたから、少しだけ気持ちが楽になったのかもしれません。

長男に診断がついたことで「自分のせいじゃなかった」と安心する

この「歪な安心感」のおかげか、その後心理士さんから勧められた「療育(児童発達支援施設)」に通うことも前向きに聞くことができ、申請までトントン拍子に進んでいきました。

診断を伝えた夜、また負のループへ

その日の夜、夫に報告。

癇癪の様子も見ていたのでなんとなくおかしいなとは思っていたものの、まさか診断が下りるとは思っていなかったようでした。

そして、夫の言葉に私は再び打ちのめされます。

「療育はいかなくていいよ。家でできることをしよう」

そうか。そうなるのか。

でも…

家でできることって何…?

私はこれまで悩みながら色々やってきたつもり。

それでもまだ足りない?
これ以上何をすればいいの?
あなたは?子どものために何かしてくれた?
いつも仕事ばかりで家にいないじゃん。

今まで何もしてこなかった私が悪いってこと?
全部私のせい?

何も言い返すことができない自分が惨めで、辛くて、恥ずかしくて、結局「私がダメなママなんだ」とまた負のループに入っていく。

その日の夜は長男の寝顔を見ながら泣くことしかできず、眠れない時間を過ごしました。

登園しぶり、体調不良…保育園への不信感がMAXに。

その後療育の申請は通ったものの、通うか悩み踏み出せない日々が続きます。

8月を過ぎても長男は相変わらず保育園に馴染めず。

馴染めないどころか保育園に行く直前に嘔吐をするようになっていました。

これはもう…どうしたらいいんだ。

保育園に対して「相談しずらい」と感じていた私は、長男の様子を見てさらに不信感を募らせていきます。

誰もこの子を助けてくれないの?

保育園になかなか馴染めないから面倒な存在だと思われてるの?

発達障がいだから邪魔なの?

私たちを追い出したいと思っているの?

この頃から私は、「この園にいてはダメだ」「違う保育園を探そう」と本来の問題から逃げるようになっていました。

(と言っても、この時点で私は本来の問題があることにすら気づいていないのですが)

このままでいいのだろうか。

何かが違う。でも何が違うのか分からない。

なんで誰も助けてくれないのだろう。

私の辛さを分かって。誰か助けて。

あらゆるストレスが積み重なり限界が近づいていました。

そのストレスは長男、そして夫へと向かいます。

毎日家で私の怒り声が響く。

子どもたちの前で夫と喧嘩することも。

そしてついに長男に異変が生じてしまうのです。

義母の一言に反発。でもそれが変わるきっかけになった

家庭内に不穏な空気が流れている中、長男の嘔吐が頻発。

さすがの私も、

長男の嘔吐の原因は家庭不和ではないか?

と思うようになっていました。

長男は繊細な子で、親の機嫌を敏感に察知していました。

なので、私がイライラしていることも、夫と険悪になっていることもわかっていたのだと思います。

それが長男を不安にさせてしまっていた。
不安が嘔吐につながってしまった。

そう気づいてからは、まず長男を安心させることに注力することにしました。

予想しなかった一言。私が原因なんて認めたくない

長男は義母が大好きだったので、9月の連休を使って家族で仙台に帰省。

案の定、長男は大喜び!
大好きな義母の料理をお腹いっぱい食べ、嘔吐もなく元気に過ごしていました。

その日の夜、長男が寝静まってから、これまでの経緯を義母に相談します。

義母は保育士として現役で働いているので、何かアドバイスをもらえるかもしれない、と。

義母はしばらく考え、一言。

「保育園には相談しているの?」

・・・

胸が、痛い。

「相談してい…ないです…」
「相談しづらくて…」

自分で言いながら段々恥ずかしくなってきました。

「保育園側も、どうちえちゃんと接したらいいのか迷っているのかも。このままだと長男くんの嘔吐は続くと思うよ」

・・・

胸も頭も痛いし、何より恥ずかしくて義母の顔を見れません。

同時に、思わず心の中で反発していました。

あなたは子どものことを見ていないから何も分からないのよ

保育園の様子も知らないくせに

私の苦労も知らないで。じゃあもっと私たちを手伝いに来てよ!

そんな怒りが込み上げてきました。

私は義母に「そんな保育園はおかしいよ!」と言ってもらえることを期待していた。

でも答えは違った。

何も考えられない。何も考えたくない。

義母の言葉を全身で拒否している自分がいました。

長男の成長。ようやく受け入れ決心する

埼玉に戻ってきてからも、義母との会話をずっと反芻する日々。

確かに私、保育園に相談していなかったな…でも…

私は精一杯やっているし、頑張っている。なのになんで私ばかり…

時間が経つにつれ、

「いや、私にもまだやれることがあるのかもしれない」

と、思うようになったものの、「いや、悪いのは保育園…」とまた拒否し…

そんな堂々めぐりをしばらく繰り返していました。

答えに気づかない(いや、受け入れない)日々が過ぎた頃、保育園で運動会がありました。

ほとんど保育園にも行けておらず、「どうせ泣いてすぐ家に帰ることになるでしょ」と諦めモードだった私。

案の定、会場に着いた途端に大泣き。

ほらね…帰ろう…

そう思いかけた瞬間、長男が小さな声で「行ってくる」と言ったのです。

泣きながら、それでも涙を拭って、フラフラとみんなの輪の中へ向かう長男。

え・・・どうした?

本当に長男…?

状況が理解できぬまま運動会が始まりました。

まあ、途中でぐずって帰るだろう。

いつまでも予防線を張る私を裏切るように、長男は順調に運動会に参加していきます。

入場行進、準備体操、ここまではぐずぐずしていたものの、

かけっこで1位になったあたりから時折笑顔も見られるようになり、

そして、最大の見せ場である「ツバメダンス」を最後まで踊りきったのです。

私に向かって笑顔で手を振る長男。

涙でほとんど見えませんでしたが、ぼやける視界でもそうハッキリと感じられました。

・・・

すごい。

すごいよ長男。

私は拍手を送りながら、

今までいったい長男の何を見ていたのだろう

自分が辛い、そればかりで長男のことを見ていなかった

でも違う。

一番頑張っていたのは、長男だった。

長男は、乗り越えようとしていた。
なのに私は、乗り越えようとしていなかった。

長男は確実に成長している。

子どもが一生懸命辛いことを乗り越えているのに、私はまだ逃げるの?

私が「辛い」と嘆いている間に、長男は一歩ずつ前に進んでいたのです。

だったら、私も前に進まなきゃ。

ようやく「私が今本当にすべきこと」が見え始めていました。

向き合うことで変わった関係。やっと見えた希望

長男の姿から勇気をもらった私は、運動会の翌週、保育園の園長先生に「相談したいことがある」と伝えました。

園長先生は早速部屋を準備してくれ、そして一言、

「私もママと話したかった」

嬉しさと安心で、まだ相談も始まっていないのに大号泣。
そして「私が壁を作っていたんだな」ということに気づかされました。

支離滅裂になりながら、これまでの経緯を伝える。

その間、ずっと私から目を話さず、優しい相槌で話を聞いてくれる園長先生。

話の最後には「もっと早く先生に相談していればよかった。すみません」ばかりを繰り返していました。

そこからはお互いができることのすり合わせを行なっていきました。

保育園では、長男の特性に合わせた対応で進める(補助の先生をつけていただくなど。ありがたい…!)
一方、療育に通うことで、家庭でも保育園でもできない部分を補ってもらう。
家庭は安心できる場所、本人がリラックスできる場所にするため、本人が難しい部分(基本的生活習慣や感情コントロールなど)は大目に見る。
これら難しい部分を療育で練習していく

これら3軸で進めていくことに◎

先生にまとめていただいたことで、方向性が明確になりました。

ホッとしました。

全身の筋肉がいっきに解きほぐされていく感覚。

本当の意味で安心できた瞬間でした。

相談後、「私はこんな感じでダメなママなので、今後もご迷惑をかけるかもしれません」と言うと、これまで笑顔だった園長先生の顔つきが変わります。

「ダメじゃないよ!自分でダメなんて言わないで!」
「こうやって子どものことで悩んでいるママは、十分最高だよ!」

なんと園長先生が泣いていました。

園長先生も2児のママ。

そして園長としてこれまで多くの子どもたちや両親を見てきて、辛いことや後悔したことも多かったのだと思います。

その思いが「ダメじゃない!」の言葉に乗っている気がして私もまた号泣。

私たちのために泣いてくれる先生がいる。

ここなら安心して子どもたちを任せられる。

ここまで真剣に向き合ってくれる先生がいるのだから、私も向き合う!

嫌なことほど向き合って改善していく!

そう決意した瞬間でした。

もし、私と同じように「保育園と上手くいかない…」と感じているママがいたら伝えたいことがあります。

ぜひ、話しやすい先生を見つけてください。

担任の先生ではなくても、自分たちのことを気にかけてくれる先生はいませんか?

振り返れば、私たちのことを心配してくれる先生はいました。

私の視野が狭く、気がつかなかったのです。

先生方は大前提「困っている状況を解決したい」と思っています。

ぜひ、少しでも良いので視野を広げてみてください。

きっと良い方向に進んでいくと思います。

最後に

ここまでお読みいただきありがとうございます!

私は長男の発達障がいをきっかけに、これまでの自身の考え方を見直しました。

不思議と自分に矢印を向けるようになってから、家庭の雰囲気が和らいだだけではなく、私たちを助けてくださる方も多くなりました。

特に保育園のママ友には今も支えてもらっています。

長男のことも認めてくれており、いつも心配の声や明るい言葉をかけてくれ、家族みんなで元気付けられています。

長男もすっかり保育園に馴染み、先生やお友だちと楽しく過ごせるように◎

壁を越えた…ようやくそう思えるようになりました。

そして、

「自分が変わることは意外と怖くない」

「むしろ自分が変わると自信が持てて、変わることが楽しくなる!」

そう思えるようにもなりました。

今後も何度も壁にぶつかり、悩むことがあるかと思います。

その度に、ゆっくりちょっとずつ、前向きに、家族で乗り越えていこうと思います!

最後までお読みいただきありがとうございました🌷

「さとちえってどんな人?」と気になった方は、ぜひこちらの記事も読んでみてください。